たぶんヒュー・グラントが好きだ

 『ラブソングができるまで』(2007・アメリカ)を見た。ヒュー・グラントドリュー・バリモア、ヘイリー・ベネット出演、マーク・ローレンス監督。原題は『Music and Lyrics』で、「ラブソング」も「できるまで」もどこにも出てこないわけだが、そのへんはヘヴィメタルのアルバムを悪魔の鉄槌などと題するようなもので、ある種の洒落として愉しむことにしている。

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ノッティングヒルの恋人』『9か月』……たくさんではないがヒュー・グラントの映画を見てがっかりした記憶がない。白状しよう、たぶんヒュー・グラントが好きだ。この『ラブソングができるまで』も上質な娯楽作品としてすばらしかった。感銘を受けた。だが同時に、上質ということは映画にとって、ほんとうに祝福されるべき属性なのだろうかという問いかけが生じ、もやもやしてもいる。

上質を目指すがゆえにこの映画には破綻がない。描かれる恋人たちの危機は修復が予見される程度の危機であり、薬物中毒は既に過去の話である。そのように書くのはどこか私には、突出した描写を作品に求めているところがあるのだろう。しかし突出した描写がないからこそ、私も安心してはらはらすることができたのだ。つべこべ言うならもうラブコメを見るなと呆れられてもしようがない。

なるほど主人公たちは同情すべき状況を抱えている。しかし破滅に至るほどの危機ではない。それらの状況が色を添えることで、キャッチコピーに従えば、この「王道のロマンティック・コメディ」が成り立つともいえる。帝王ヒュー・グラントに、こちらもラブコメの女王ともいわれるドリュー・バリモア、そして破綻のない上質な展開。『ラブソングができるまで』に感銘を受けつつも、二言三言述べたくなったのは逆説的だが、それには配役やプロットはもちろん、登場人物の立場においても実は、弱いところがないからではないか。強いものには少しはケチもつけたくなります。どうやら私も、この地に典型的な判官贔屓の精神性を引き継いだ模様である。

主にふとしたもやもやのほうを述べたかたちになったが、非常に好もしい音楽制作のシーンもあるし、続けて2回見たほど好きな映画です。