過度のリアリティから解放されて

都市伝説の女』をぽつぽつと鑑賞していたが、気楽に見られてよかった。私自身の限られた鑑賞体験では、刑事ドラマでは人情が前面に押し出されていることが多い。犯行に手を染めざるを得なかった消息にはもちろん興味があるが、その人情的な面ばかりをくどくど押しつけられたくはない。『都市伝説の女』でも漏れなく人情は描かれるが、その描き方はずっとさらっとしているし、都市伝説という題材が映り込むからか、過度のリアリティから解放されてもいる。そんなわけで、気づけばPart1を見終えていた。

その勢いでPart2に進んだが、そこでは月子の傍若無人ぶりが少し鼻につき始めた。なるほどPart1でも、月子は丹内主任を突き飛ばしたり、彼との電話を中途で切ったり、不埒な振る舞いに終始していた。その振る舞いを温かく見守れたのは、弱いほうを応援したいという判官贔屓の精神性があるからだろう。武副総監との謎の繋がりがあるとはいえ、月子はやはり新前の刑事に過ぎず、上司である丹内との立場の非対称性は失われていなかった。丹内が月子の指揮下に入ることはあったが、あくまでも一時的な措置だった。

ところがPart2では、月子はFBIで実績を上げたスターとなっている。実質的には彼女が新たに設立された非科学事件捜査班のリーダーであり、丹内はといえば名ばかりの班長であると明言されている。立場の非対称性は逆転してしまった。そうするともう、月子の丹内に対する不埒な振る舞いを、温かく見守ることは難しくなる。むしろ丹内への同情が強くなり、そのぶん月子への共感は薄れてしまう。月子を主人公とするドラマとしてはそれはうまくないだろう。

そんなわけで今日現在、Part2の第2話には進めていない。私の刑事ドラマの鑑賞体験は、やはり限られたものにとどまってしまいそうだ。